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世界に誇るレジェンドデザイナー山本耀司(やまもとようじ)とは?

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今注目を集めるレジェンドデザイナー山本耀司

 

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日本のモード界の重鎮である山本耀司(やまもとようじ)氏。

日本を代表するモードブランド、ヨウジヤマモトの創立者でありデザイナーであることは、LAITER読者の諸兄もご存知かと思います。

日本は勿論、世界が認めるレジェンドデザイナーである山本耀司氏が今ヤングセレブリティから注目を集めていることをご存知でしょうか?

40年以上第一線で活躍し続ける、ファッション界の永遠の異端児に迫ります。

山本耀司(やまもとようじ)とは?

1943年生まれのファッションデザイナー

 

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山本耀司氏は1943年に東京で生まれます。

母親は新宿歌舞伎町で洋装店を営んでいました。

戦争で旦那をなくした彼女は、女手一つで耀司氏を育てる為に文化服装学院へ2年通い、洋装店をオープンさせます。

慶應義塾大学卒業後文化服装学院へ入学

 

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慶應義塾大学法学部へ進学した耀司氏は将来は法曹を目指していたそうです。

しかし、耀司氏は、慶應義塾大学を卒業すると、自分の母親と同じく文化服装学院へ入学します。

耀司氏は「社会へ出る前のモラトリアムを求めた」と文化服装学院へ入学した理由をインタビューで話していました。

1969年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞

 

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1969年に文化服装学院を卒業した山本耀司氏は、同年「装苑賞」「遠藤賞」をダブル受賞。

その後、渡仏、耀司氏はパリで1年を過ごします。

1960年代半ばからパリではオートクチュール主体からプレタポルテへとトレンドが変わりつつありました。

それを目の当たりにした耀司氏は衝撃を受けたと同時に、自身もプレタポルテを手掛けることを決意します。

1972年株式会社ワイズ設立

帰国後、歌舞伎町の母親の洋装店を手伝いながら、1972年、自身の会社である株式会社ワイズを設立。高級既製服の展開を始めます。

1977年東京コレクションデビュー

 

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1977年にワイズとして東京コレクションデビュー。メンズライクで体のラインを隠したオーバーサイズダークトーンのワードローブは、それまでのモードスタイルとは一線画していました。

ワイズは、ファッション関係者を始め、被服系の専門学生の間で爆発的なヒットを記録。コムデギャルソンと共にジャパニーズモードの新時代を創設します。

1981年パリコレデビュー

1981年にパリコレへ初参加。80年代のパリのプレタポルテコレクションで黒(ダーク色)を使うことはタブーとされていました。しかし、山本耀司氏は、オールブラックの体のラインを隠したレイヤードスタイルを披露します。

古着のようなユーズド加工された穴の開いたファブリックを使用し完成したワードローブは、今でいうグランジスタイルのはしりです。

しかし、当時のパリでは、「ボロルック」「広島の原爆をい髣髴させる」など否定的な意見が多数。

「名前ではなくジャパニーズとしか呼ばれなかった」と当時のパリを振り返る耀司氏。

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山本耀司氏のワードローブを否定的にとらえるメディが多い中、「黒の衝撃」と新たなモードスタイルを好意的にピックアップした、メディアやファッション関係者がいたことも事実です。

パリコレ初参加の1981年にヨウジヤマモトをスタートさせます。

1984年株式会社ヨウジヤマモト設立

1984年に株式会社ヨウジヤマモトを設立、1989年にはヴィム・ヴェンダース監督映画「都市とモードのビデオノート」に出演を果たします。

1994年フランス芸術文化勲章「シュバリエ」受章

 

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1994年山本耀司氏は、フランス芸術文化勲章「シュバリエ」受章

このころになると「ジャパニーズからマイスターとかマエストロと呼ばれるようになった」とインタビューで話しています。

2002年Y-3(ワイスリー)を発表

2001年のヨウジヤマモトのコレクションでアディダスとのコラボレーションスニーカーを発表。

このことがきっかけとなり、アディダスは、山本耀司氏をクリエイティブディレクターに迎えY-3(ワイスリー)をパリで発表します。

Y-3はスポーツモードブランドのパイオニアとして現在も精力的にコレクションを行っています。

2009年株式会社ヨウジヤマモト民事再生法の適用を申請

 

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ヨウジヤマモト倒産のニュースは日本中に衝撃を与えました。一時期は、ヨウジヤマモト自体の存続も危ぶまれましたが、新会社に事業譲渡することが決定。

山本耀司氏は現在取締役を辞任、デザイナーに専念しています。

レジェンドデザイナーである山本耀司氏が天才であることは疑う余地はありませんが、経営者としての才能は凡人以下だったようです。

山本耀司というファッション界の永遠の異端児

 

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デビューから一貫して反骨精神迸る、メッセージ性の強いワードローブをリリースし続けてきた山本耀司氏。耀司氏程カリスマデザイナーやレジェンドデザイナーという言葉が似合う人物も少ないかと思います。

2000年ごろから衣装提供も積極的に行うようになった山本耀司氏。

 

2001年の北野武監督映画「brother」に参加して以来、北野作品の衣装のほとんどに関わっています。北野武氏とはプライベートでも交流があるようで、北野武氏もほとんどが山本耀司氏のワードローブを身に着けているそうです。

 

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特に最近では、若い世代の俳優にも山本耀司氏のファンは多く、綾野剛氏、斎藤工氏、山田孝之氏も山本耀司氏のワードローブを頻繁に身に着けています。

70歳を過ぎてもトップランナーとして走る続けるファッション界の永遠の異端児である山本耀司氏。

日本を代表するレジェンドデザイナーの挑戦はこれからも続きそうです。

山本耀司の功績

 

1969年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞

1994年フランス芸術文化勲章「シュバリエ」受章

2004年紫綬褒章受章

2005年経済産業省より「日本ブランド創造貢献企業表彰」受賞、フランス芸術文化勲章「オフィシエ」受章

2006年英国ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ名誉ロイヤル・デザイナー・フォーインダストリー受章

2008年ロンドン芸術大学、名誉博士号授与

2011年フランス芸術文化勲章「コマンドゥール」受章

 

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この記事を書いた人

角谷良平
角谷良平
角谷良平(スミヤ リョウヘイ)。LAITERディレクター。ショップスタッフ、ロンドンにて古着バイヤー、スタイリストを経てファッションライターに。現在は、ファッションライターをメインにコラムニスト、ファッションディレクター、パーソナルスタイリストとなんでも屋。ハイブランドからストリートスタイルまでファッションならジャンルレス。

また、日本最大級のメンズファッションサイトにてSEO記事の執筆、ディレクションに従事していた経験を活かし様々なサイトで執筆中。

さらに、木村拓哉氏のプライベートなファッション、ドラマ、TV出演等の衣装についても精通しており、2019年、木村拓哉氏主演の「グランメゾン東京」での木村氏演じる尾花夏樹のファッション解説が週刊女性PRIMEに掲載された。

ファッション業界25年以上、ライター歴は10年以上。

https://twitter.com/ryohey_sumiya
https://www.instagram.com/ryoheysumiya/